アイカムス・ラボを立ち上げ、アルプス電気時代からの念願の商品開発に成功した片野圭二だったが、その結果は苦いものとなった。
アルプス電気盛岡工場の完全撤退から1年後の2003年5月、片野圭二はアルプス時代の仲間とともにアイカムス・ラボを立ち上げた。またこの頃には、アルプス退社組の起業がぽつぽつと目立ち始める。アイカムス・ラボに先立って2002年8月には、片野の後輩にあたる佐藤晃が、プリンターヘッドの表面処理を担当していたその技術を生かし、表面加工を扱うファーストコートサービスを創業した。
このほぼ同時期に、先輩の水野節郎が、ソフトウェア技術を生かし、IT企業イーアールアイを立ち上げた。また、翌年2004年には同期入社の大和田功が、画像処理技術をコア技術としてソフトウェアを開発するイグノスをスタートさせる。その後もポツポツと“アルプス電気盛岡工場発ベンチャー”が盛岡とその周辺に点在するようになっていく。
ここで思い出して欲しいのは、盛岡工場が単なる生産ラインではなく、プリンターを開発していた技術者集団であったという特殊性である。一度ここで、プリンターを技術の面から概観してみる必要があるだろう。
プリンターというのは、さまざまな技術が複雑に組み合わされ統合された製品である。ここは非常に重要な点だ。これらの技術は大きく分けて5種に分割することができる。
(1) 機構技術(紙送り、ヘッドの位置制御)
(2) 印刷ヘッド(ペン先にあたる)
(3) インク(材料)
(4) 電気回路(ヘッドやモーターの通電制御、インターフェース、電源)
(5) プログラム(司令塔にあたる)
そして、これらの技術は、プリンターのタイプによってまた異なってくる。プリンターのタイプは大きく三つに分けることができる。
(A) レーザープリンター
(B) インクジェット・プリンター
(C) サーマルプリンター
さらに特殊なものとして、
(D) ペンプロッター式プリンター
(E) ワイヤードット式プリンター
(F) 活字ベルト式プリンター
というものもある。これらのプリンターは、(D)を除いては、すべて現在も生産されている。そして(A)から(F)までの六種類のプリンターは、それぞれ使われている技術が微妙に異なる。
アルプス電気盛岡工場はすべてのタイプのプリンターを開発・製造していた。つまり、(1)から(5)までの多種多様な技術やそれらの部品を製造する加工技術を、(A)から(F)までの各タイプに対応させるだけ実に広範囲に渡って有していたのである。
プリンターのそれぞれの機能を担当していた技術者が、工場閉鎖後にその持ち前の技術を生かしてベンチャーを起業し、ベンチャー同士が商取引で連携していく。ここに盛岡の特殊性がある。
さて、アイカムス・ラボ社長である片野はアルプス時代にどのような技術開発に取り組んでいたかというと、(1)の機構技術を得意としていた。とりわけ歯車を使ったヘッドの搬送や紙送りの技術が専門であった。
この紙送りやヘッドの搬送には歯車が使われる。片野は、小さな動力で大きな出力を得るために、不思議遊星歯車という技術を用い、さらにこれを小型化する技術を岩手大学とともに研究開発していた(2008年構造特許取得)。
「プリンターを持ち運びできるくらいに小型化し、商品化すれば市場に受け入れられ、アルプス電気盛岡工場の起死回生の商品になるにちがいない」というアイディアを得た片野は、この企画の商品に邁進していた。しかし、2002年の工場閉鎖によって、この展望は閉ざされることになる。
退社後は、経産省の地域新生コンソーシアム研究開発事業のコンペで獲得した資金を元手に、携帯用プリンターの開発に専心した。その名はprimpact(プリンパクト)。携帯電話からレシートなどをプリントできることを売りに、まず100台を限定生産し、次いで本製品の本格的な商品化と流通を、富士通、NEC、キングジム、リコー、理想科学工業など30社以上にプレゼンした。
しかし、結果は惨敗。各社ともにとりあえず興味は示してくれるものの、正式に契約を結ぼうという企業は一社も現れなかった。ここで、アルプス電気時代から片野がこだわり続けたこの商品開発はついに頓挫することになったのである。
ここに、アルプス電気盛岡工場の弱点があると指摘することはできるかもしれない。技術力はたしかに高い。しかし、「その商品がどのような現場でどのように使われるのか、そしてその使われ方にどの程度の需要があるのか」ということに対しては調査が甘かったと評することは可能である。
ベンチャー企業には、商品を開発できるのかという「テクノロジーリスク」と、市場がその商品を求めるかという「マーケットリスク」という二種類のリスクがあるという。ここで問題としたいのは「マーケットリスク」のほうである。
改めて言おう、primpact(プリンパクト)は売れなかった。
長い時間と労力、そしてコストをかけたあげくに喫する敗北は痛手が大きい。さらに、人事面でも片野は手痛い失敗を蒙ることになる。2005年元アルプス電気のプリンター開発部長だった人間をアイカムス・ラボに招き入れ、彼のルートで大手時計メーカーのプリンターの受託開発を契約しようと目論んだのだが、逆にこの人間を大手時計メーカーのほうに引き抜かれてしまう。
ついに、アイカムス・ラボの運転資金は底をついた。このように、ベンチャーのほとんどが研究開発から事業化へとステップアップする段階で資金がショートし進退窮まるといういわゆる“デスバレー(死の谷)”に落ちる。この時の片野は眼前に迫る谷底を垣間見た気がした。とにもかくにも金の工面が必要である。
そこで片野は、フューチャーベンチャーキャピタル東北事務所の小川淳を尋ねた。実はアイカムス・ラボは前年の2004年にすでに500万の投資をここから受けていた。これをすでに使い果たし、すっからかんになったあと、再度追加投資を申し込みに行ったというわけである。片野を迎えた小川は、フューチャーベンチャーキャピタル東北事務所開設から2年を経て、ベンチャーキャピタリストとしての見習い期間を終えて、所長となっていた。
本来ならば、計画した事業が思惑通りに進まなかったのであるから、「なぜうまくいかなかったのか。反省すべき点はなんだったのか」ということを共に洗い出し、分析し、これからの事業計画を再点検してから追加投資を決定するのが小川の仕事だろう。
また、「ハンズオン」という言葉からはそのような冷静な共同作業が連想される。しかし、創業者の川分陽二の基本方針「人を見て、人に寄り添う」に従うように、小川は2000万円の追加投資を即決した。
「この程度のことで音を上げてもらっては困ると思ったし、いつ追加資金の相談に来るかと待っていたほどだった」と小川は言った。
もう一度繰り返すが、primpact(プリンパクト)という商品に関しては、片野はマーケットリスクという壁にぶつかって敗北した。しかし、留意しなければならないのは、敗北の中にも次の勝利への萌芽が隠れていることがあることだ。
これが技術を持っていることの強みである。失敗はしたが、このprimpactに組み込まれた小型不思議遊星歯車の技術は、その後さまざまな需要を生み出し、アイカムス・ラボのお家芸として同社の未来を切り拓いていくことになる。
まず、大手測量機メーカーがこの技術に注目した。2006年、ソキア(のちに最大手のトプコンと合併)からアクチュエータ部の量産を受注する。アクチュエーターとは、モーターによって、エネルギーを並進や回転運動に変換する駆動装置である。
実は、ソキアの測量機は大手時計メーカー(上記の人事問題があった企業とは別)がアクチュエーターを生産していた。しかし、片野たちがアクチュエーターに用いた歯車の技術は、大手時計メーカーのそれを凌駕し、ソキアに乗り換えを決断させたのである。
さらに翌2007年、一眼レフカメラのオートフォーカス機構を開発して特許を申請し、タムロン(カメラのレンズメーカー)に提案した。同社はこれの採用を決定し、アイカムス・ラボは、一眼レフカメラのレンズのアクチュエーターの量産を開始する。徐々にではあるが、アクチュエータの量産部門は軌道に乗り、社内に安定した製造基盤が確立されていった。
こうしてアイカムス・ラボはデスバレーを抜け出ることに成功した。しかし片野は、自社で完成品を作りたいという思いをどうしても捨てきれなかった。そんなある日、やはりアルプス電気時代の元同僚で少し遅れてアイエスエスに合流していた藤澤久一が、気になるひと言を片野に呟いた。
「この歯車の技術はマイクロシリンジに使うといいんじゃないか」
(続く)
第1話 新年の盛岡。激震が走った工場撤退の一報
第2話 「岩手に起業家はいるのか」・・・疑念からはじまった県のベンチャー支援
第3話 はじまった盛岡、ベンチャー狂騒曲
第4話 集う実力派エンジニア。始動した第一号ベンチャー
第5話 4250万円の開発資金を手にした時に見えた、女神の姿
第6話 進まぬベンチャー支援。盛岡に光を!
第7話 産官連携の新たな形。投資の理由は、片野圭二という男の可能性
第8話 夢、破れた男。そして再起
第9話 夢破れた至高の技術で、男は再び勝負する
第10話 盛岡に現れた、新たな雄。東北を動かす異端の登場
第11話 高校生とドイツへ。そこで明らかになった日本、そして盛岡の立ち位置
最終話 盛岡で起きた、必然という名の奇跡
文・榎本憲男(えのもとのりお)
小説家 長年映画会社でさまざまな職種に携わる。『エアー2.0』で大藪春彦賞候補。『真行寺弘道シリーズ』で新しい警察小説の可能性を切り拓いたと注目を浴びる。最新刊は『ワルキューレ 巡査長 真行寺弘道』。『カメラを止めるな!』の脚本指導も手がけた。