【前回までのあらすじ】

盛岡の街全体に激震が走ったアルプス電気の工場撤退の一報。「都心から誘致した工場は、これから安い労働力を持つ国外に移転する。地域自体が変わらなければ」。

これからは県内で起業家を支援しなければならないと思っていた岩手県庁に所属する黒澤芳明は、起業家大学に続いて、インキュベーションファンドを設立する。これが、アルプス電気の盛岡工場撤退の時期とタイミングよく合致した。しかし、この時、県の方針は「アルプスの撤退は認めない」であった。そこで黒澤は……


県の意思とは逆の行動を起こす、ある県職員の思惑

2002年2月23日土曜日 岩手ネットワークシステム(Iwate Network System 以後INS)という団体が説明会を開いた。

この団体は岩手県内での産官学の連携を促進する集団である。といっても法人ではなく任意団体、もっと砕いて言えば、同志の集りだ。

INS主催のこの会はアルプス電気の盛岡工場の閉鎖にあたって、同社を退職し、盛岡に残って事業をスタートさせたいという人材をサポートしようという趣旨で開かれたものであった。説明会の名目は、「ベンチャー支援施策説明会」。

前述の通り、岩手県の基本方針は「アルプス電気の撤退は認めず」。

しかし、このベンチャー支援施策説明会の趣旨は、すでにアルプス電気を辞めて盛岡に残ろうとする人間に対し、県や国からのサポートで事業立ち上げを後押しするもの。

要するに、このふたつの態度にはかなりの隔たりがあったわけである。

そして、実はこの会の影の主催者は県庁の黒澤芳明であった。県の職員でありながら、県の大方針とはそぐわない行動をしていたとも言える。

とはいえ、岩手ネットワークシステムという任意団体から招待され、そこが主催する会に出向いて説明をするだけなのでギリギリセーフだろうと、いささか勝手な解釈をして黒澤は会場にいたわけである。

未来の起業家が揃った、支援説明会

ベンチャー支援施策説明会には、アルプス電気退職組が多数、顔を揃えた。

画像処理技術の開発から顧客獲得・契約までほとんど一人事業所のような動き方をしていた大和田功(後にイグノスを起業)、ダイレクトサーマルプリンタを開発していた鎌田智也(後にアイエスエスを共同起業)、新しいプリンターの開発の研究を岩手大学の学者と進めていた片野圭二(後にアイカムス・ラボを起業)も顔を出していた。

黒澤は彼らの出席を喜んだ。工場の閉鎖は会社の倒産とはちがう。

従業員にクビを宣告するものではないし、新しい任地に異動すれば、それなりの俸給でなにがしかの職が保証されているはずである。それでも彼らは退職して盛岡に残ることを選択した。

それは、人材の流出に歯止めがかからず悩んでいる岩手県の職員にとっては非常に喜ばしいことであった。彼らが盛岡に留まったことについては、さまざまに個人的な事情も絡んでいただろう。

しかし、盛岡工場の特殊性が大いに原因していたことは確かである。彼らが望んだのは、盛岡工場で取り組んできたような仕事のしかたであり、それは同社の中では盛岡工場だけでしかできないという認識が彼らを退職へと導いたのであった。

また、「工場が閉鎖されなかったとしたら、定年までアルプスに勤めていたか」という私の質問には、片野も大和田も、40代になったばかりの当時を振り返り、おそらく早期退職者の優遇制度を利用して定年を待たずに辞めていただろう、と答えている。

キャッシュの問題も解決。さぁ、起業の時間だ

「岩手に起業家がいるのか」

以前、法政大学の清成教授のもとを訪ねたときに、こんな質問を突きつけられた。県庁職員の宇部は、いるともいないとも答えられなかった。また、「起業家にとって最も大切なのはスピリットである」とコンサルタントである福島正伸からも指南を受けた。

そして、10年後のこの日、この地にしかるべきスピリットを持った者がいるのかどうかが明らかになったわけである。そう、アルプス電気盛岡工場は、いつの間にか起業家スピリットを持った社員を数多く育てていたのである。そして、この盛岡工場の特殊性にこそ、ほとんど唯一盛岡だけがベンチャー集団の存続と連携に成功している謎を解く鍵がある。このことについては追って詳論することになるだろう。

スピリッツはある、ただ、次の問題はキャッシュ(資金)だ。

起業精神と事業のアイディアや技術を持つ者がいたとしても、彼らがそれを形にするためにはキャッシュが必要である。起業を目指す者が資金を獲得する方法は、自己資金を除けば、おおむね2つ。株式による資金調達と、銀行からの借り入れだ。

しかし、両者とも現実的に難しい。そこで黒澤は、いわてインキュベーションファンドを発表した。これは国と県から5億、さらに地元の金融機関と有志から5億、計10億円の資金を用意し、その運営を京都のファンド運営会社、フューチャーベンチャーキャピタルに任せることにしていたのだ。

ともあれ、まずはこの説明会では、県や国の補助金の説明もした。その後、その資金にアクセスし事業を開始したアルプス電気退職組が多数出ることになる。

そして、なかばフライング気味に会社を設立したのがアイエスエスという、電子製品および機械製品の企画・設計を担う会社だ。同社が盛岡工場閉鎖後の起業第1号となった。2002年1月に撤退を発表された工場が、完全に停止したのは5月13日である。

アイエスエスの創業は4月2日。創業者である小笠原や鎌田はまだ1ヶ月分の給料をもらえたにもかかわらず退社し、間髪を入れず自分たちの会社を立ち上げた。次回はこの電光石火の起業の背景を追う。

(続く)

 


【連載】東北再生

第1話 新年の盛岡。激震が走った工場撤退の一報
第2話 「岩手に起業家はいるのか」・・・疑念からはじまった県のベンチャー支援
第3話 はじまった盛岡、ベンチャー狂騒曲
第4話 集う実力派エンジニア。始動した第一号ベンチャー
第5話 4250万円の開発資金を手にした時に見えた、女神の姿
第6話 進まぬベンチャー支援。盛岡に光を!
第7話 産官連携の新たな形。投資の理由は、片野圭二という男の可能性
第8話 夢、破れた男。そして再起
第9話 夢破れた至高の技術で、男は再び勝負する
第10話 盛岡に現れた、新たな雄。東北を動かす異端の登場
第11話 高校生とドイツへ。そこで明らかになった日本、そして盛岡の立ち位置
最終話 盛岡で起きた、必然という名の奇跡


文・榎本憲男(えのもとのりお)

小説家 長年映画会社でさまざまな職種に携わる。『エアー2.0』で大藪春彦賞候補。『真行寺弘道シリーズ』で新しい警察小説の可能性を切り拓いたと注目を浴びる。最新刊は『ワルキューレ 巡査長 真行寺弘道』。『カメラを止めるな!』の脚本指導も手がけた。