譲渡企業からは着手金や中間報酬を取らない完全成功報酬の料金体系を強みとし、DXやAIを活用した徹底的な合理主義を実践し、創業わずか3年9カ月で東証グロースにスピード上場を果たしたM&A総合研究所。
M&A仲介の流れは大まかに「ソーシング」「マッチング」「エグゼキューション」の段階を経てクロージングとなるが、同社ではアドバイザーが一連の業務を行う。そんな彼らと連携し、最良の買い手企業を見つけるプロフェッショナルがいる。マッチングを担当する法人部だ。
M&A総合研究所の法人部は主に3つの仕事を担う。
1つ目は買い手企業の探索で、譲渡企業のビジネスモデルや財務内容を分析し、シナジー効果や買い手企業の買収戦略を細かく分析した上で、提案を行う。譲渡企業にとっては、ここでいかに多くの、かつ親和性の高い買い手企業に出会えるかが重要であり、M&Aの成否そのものを左右する重要な仕事だ。
2つ目は、買い手企業の買収戦略を一緒に練ること。買い手企業の担当者と相談をしながら、どういう企業を買収すれば企業価値が上がるかなどを議論し、適切な買収戦略を練り上げる。ときには買い手企業に無い発想で提案を行い、新規事業をM&Aによって創出するといったこともある。
3つ目は投資ファンドや大手の買い手企業から買収したい先の企業リストを預かり、社内で企業情報部と連携して候補先企業にアプローチをしていくという仕事だ。こういった入り口からM&Aが成立することも多々ある。
単にマッチングを行うだけではなく、買い手企業の参謀として、ときには大手企業のM&A戦略立案まで行う、プロフェッショナルの仕事である。
今回の主役は、法人第三部部長の小川滉哉(以下、小川)と、同部マネージャーの相羽恭(以下、相羽)。小川は2 022年度の社内M VPを、相羽は同年に新人賞を取得している。
2人はいかにしてM&A総合研究所の門を叩き、どのようなやりがいを感じ、日々の案件と向き合っているのか。そしてその先に見つめる展望とは。彼らの話から同社ならではの強みを知ることができた。
小川は大学卒業後、富士ソフトに入社。ITインフラの法人営業に従事するが、わずか1年で転職を決意する。
「IT業界はエンジニアが花形であり、営業職はエンジニアが生み出した技術をセールスする黒子のような存在でした。もちろんやりがいもありましたが、もっと自分の能力がダイレクトに成果につながるフィールドで勝負をしたいという気持ちになり、転職するなら早いほうがいいと考えました」(小川)
そんな折、上場前だったM&A総合研究所の存在を知る。
「転職活動を進める過程で、自身の能力や提案が成果と評価につながるM&A業界が、自分の求めているフィールドだと考え着きました。なかでもM&A総合研究所は、当時上場を目指すフェーズでもあり、自分も一緒になって会社をつくり上げていけるというところに魅力を感じました」(小川)
一方、相羽は大学卒業後、愛知県に本店を構える瀬戸信用金庫に入庫。彼もまた、早々に転職を考えたそうだが、小川とは逆の道を選択する。同庫で約5年半じっくりとスキルを磨いたのち、満を持して新天地を求めた。
「入庫してすぐ、担当する中小企業が廃業しました。地方では後継者不在により、オーナーが廃業を選択するケースが多い。新人ながらに何か役に立てないかと模索している時に、研修でM&Aを学び、業界自体にも興味を持ちました。しかし当時はまだ経験も浅く自信がなかったので、信用金庫で経験を積んでから転職しようと自分を奮い立たせていました」(相羽)
時期こそ違うが、ともにM&A業界を志した2人。数あるM&A企業の中からなぜM&A総合研究所を選んだのか。決定打となったのは、同社の代表取締役・佐上峻作のカリスマ性に魅了されたからだと声を揃える。
「佐上との最終面接は決して長い時間ではなかったですが、わずかな時間の中でこちらが質問したことを簡潔に分かりやすく説明してくれたのです。こんなに頭の回転が早い人は初めて見ました」(小川)
「一つ一つの言葉に説得力があり、胸を打たれました。佐上について行けば、自分も間違いなく成長できると思いました」(相羽)
彼らに限らず、佐上との出会いによって入社を決める社員は多い。入社前から佐上の理念を理解し、共鳴できているため、おのずとすぐに結果を出せる。こうした共通意識の徹底も、同社が驚くスピードで成長し続ける原動力になっているのだろう。
2人が在籍する法人部は、M&A仲介業務の一部であるマッチング(買い手候補企業の探索・引き合わせ)に特化している。譲渡企業に、最適な買い手企業をマッチングする方法は3通りある。
1つ目は、過去のデータベースの中から抽出する方法、2つ目は、AIを駆使して人知では想像できない買手を見つけ出す方法、そして3つ目は、担当者がストーリーを仮説立て、それに見合った企業を探し出す方法だ。
「1つの案件に対して、多い時は1000社近くをリストアップします。次にモニタリングをして500.600社に絞り、さらに検証を重ね、最終的に提案するのは10社程度になります」(小川)
その中から興味を持った買い手候補企業と交渉をし、アドバイザリー契約を終結。買い手候補企業の希望も汲み取りながら、譲渡企業との条件交渉の場まで導くまでが法人部の役目だ。
膨大な数の企業の中からベストな買い手候補企業を見つけるのは気が遠くなる作業だが「自分の中で仮説を立て、そのストーリーがうまくハマった時の快感はたまらない」と小川はいう。
法人第三部 部長 小川滉哉
過去に酒造会社の買い手企業を探していた際、成分分析を得意とする品メーカーが目に止まった。一見するとつながりがないが、酒の成分を応用したサプリメントを開発できるのではないかと考えて提案したところ、見事にマッチングが成立。「小川さんは突拍子もない提案をしますね」という酒造会社からの言葉を最大級の賛辞として受け取った。
相羽もまた、独自の着想で成功させた事例の中から、印象に残っているエピソードを語ってくれた。
「買手は店舗コンサルが専門で、自社で店舗運営をしていない企業だったのですが、経営陣の中に過去にフランチャイザーだった方がいるのを見つけました。新たなビジネスチャンスになると考え、フランチャイズ案件を提案したところ、自分でも驚くほどスムーズに受け入れられました」(相羽)
他にも債務超過で一見買い手企業が見つからないと思われたケースでも資格者を欲する企業に提案し成約した事例などもあるという。企業全体を把握することはもちろん、知り得る限りの内部情報なども細かくチェックし、着地点を見つけ出す。彼らの創造力は、AIでは導き出せないマッチングを生み出すことがたびたびあるのだ。
小川はプレイヤーでありながら、法人第三部の部長という肩書きも持っている。部下を統率するリーダーとしてはどのような心構えでいるのだろうか。
「部内ではあまり上下関係は意識していません。部長と部下という感覚はなく、よきライバルであり、仲間であり、フラットなコミュニケーションが取れています。もちろん相談を受ければ、アドバイスしますが、みな優秀で自分の信念を持っています。特に相羽は驚異的なスピードで成約件数を伸ばしているので、正直私自身、負けていられないと思っています」(小川)
逆に相羽は小川のことをどう見ているのか。
「普段はクールで冷静沈着ですが、実は内に秘めたハートはものすごく熱い。私が間違っていたら、ちゃんと指摘してくれますし、相談にも乗ってくれるので、とても頼りにしています」(相羽)
法人部も個人の成果主義であるが、社員同士が互いを尊敬し合う人間関係が構築されている。これは法人部にかぎらず、社内全体に浸透している風土である。
風土といえば、こんなエピソードもある。現在、法人部は東京本社に機能が集中しているが、相羽のみ、名古屋オフィスに常駐している。
「元々法人部は東京本社に拠点がありましたが、いずれは地元である愛知県で仕事がしたいと採用面接の段階から伝えていました。すると、入社前にも関わらず、役員の方が親身に相談に乗ってくださり、『東京で結果を出せば、名古屋に法人部を作ってもいい』というお話をいただきました。この言葉がより一層の励みとなり、入社1年目で新人賞を取り、希望を叶えることができました」(相羽)
個人の目標や希望にも柔軟に対応する独自の風土が、社員のやる気となり、さらなる企業成長を促している。
法人第三部マネージャー相羽恭
法人部は買い手企業を扱う専門部署。「国内の買い手企業については多くの知識やデータを持っているので、もっと頼ってほしい」と相羽は積極的にコミュニケーションを取り、信頼を勝ち取っていった。
いまや名古屋オフィスに欠かせない存在となった相羽に、今後の展望を聞いた。
「各拠点に法人部が必要だといってもらえるよう、私がもっと結果を出して後輩のためにも道を切り開いていきたいと思っています」(相羽)
小川にも今後の展望を尋ねると、「まずは自身のさらなるスキルアップ」という答えが返ってきた。そしてその先に、部長として法人部をもっと輝く部署に押し上げる未来図も描いている。
「成果主義という結果が求められる会社ですが、自分自身が満足したいという気持ちがより強いです。今期成約した件数を来季は必ず超えるという目標を立てて、現状に満足せず、常に記録やスキルを更新し続けたい。そして社内はもちろん、買い手企業様からも絶対的な安心感を得られる存在になりたいです」(小川)
M&Aアドバイザーの強い盾となり、M&A仲介業務を支える法人部の2人。膨大な企業データを読み解き、時にAIを駆使し、また時には自らの創造力を働かせて最良のマッチングを生み出す彼らは、アナリストであり、クリエーターでもあるのだ。
Promoted by M&A総合研究所 | text by Tetsujiro Kawai | photographs by Shunichi Oda | edit by Aya Ohto (CRAING)