企業の合併や買収を仲介するM&Aアドバイザー。高い専門スキルと幅広い知識が必要とされるだろうこの仕事には、一体どのような人たちが就いているのか。
M&Aアドバイザーの仕事はビジネスマンとしての総合力と高いスキルが求められるため、異業種からのトップ営業マンの転職が多いという。では、他の業界に身を置いていた彼らは、どのような思いを持ってM&A業界に足を踏み入れ、何を目指して成長していくのかを解き明かしてみたい。
今回話を聞いたのは、2020年と21年に相次いでM&Aアドバイザーとなった二人。キーエンス出身の狐塚瑛一郎(こづかえいいちろう)と野村證券出身の宮原崇(みやはらそう)だ。
それぞれの転職ストーリーから見えてきたのは、M&A仲介という仕事が果たす社会的意義の大きさと、そこに携わるアドバイザーたちの高い向上心だった。
一人目の主人公、狐塚瑛一郎を紹介しよう。学生時代の狐塚は「インパクトの大きい仕事、目に見える成果を残せる仕事がしたい」と考えていた。目指すは大手デベロッパーへの就職。
しかしその夢は叶わず、キーエンスへと入社した。同社で磨いたのは営業力と顧客との信頼関係を築くためのコミュニケーションスキルだった。
「信頼を得て、お客様の工場製品が他社から自社のものに入れ替わっていく様子を見た時には、この上ない充実感を感じました」
そう本人が語るように、やりがいは十分だった。日々刻々と変わりゆく成績ランキングに向上心を刺激された狐塚は、その能力を発揮し、上司をも上回る成績を叩き出すようになっていった。
狐塚瑛一郎 2020年9月入社 キーエンス出身 1994年生まれ
営業として確固たる実績を収め、多くの報酬を手にした狐塚。しかしいつしか、心に「あの頃、思い描いたインパクトのある仕事、意義のある仕事ができているのか」という疑念が湧き上がってくるようになった。
顧客の製造環境をより良いものにしている実感はあった。しかし、自らが影響力を発揮できるのはそこまでだ。狐塚が欲しかったのは、もっと大きな社会的意義。仕事が生きがいと言えるような、プライドを持ってできる仕事だった。
二人目の主人公、宮原崇は「いつかは社長になる」という目標を持ちつつ、証券会社に新卒入社した人物だ。宮原の父も証券会社勤務だった故、小さい頃からこの業界が身近に感じられたのだろう。
担当したのは主に個人および法人への営業。資産運用のアドバイス、金融商品の販売などを手掛けた。顧客は中小企業の経営者であることが多く、「社長とはどんな人たちか」を身をもって知ることができたという。
現実の社長は、宮原が想像していたよりもキラキラと華々しくはなかった。むしろ厳しい決断を迫られることも多く、重責を担っている。そんな彼らと向き合って仕事ができることに、喜びを感じていた。
「自分の提案した商品で利益が出て、お客様が喜んでくれることが嬉しかったですね。明確に数字で成績が出るので、達成感を感じ、やりがいを持って仕事をしていました」
多くの社長と出会い、宮原の目標はより現実味を帯びた。
「社長でなくてもいい。責任のある仕事をし、力を注いだ分がきちんと自らの報酬となる仕事をしたい」自分の求めるものがようやく見えてきたのだ。
経験を積み、社内12位という成績を残すようになった宮原。しかし一方で、証券営業の仕事に疑問を持ち始めた。提案した商品を購入した顧客に、損をさせることもある。それは本当に世の中に必要な仕事なのか?「できるならば、自分の提案で人を幸せにできる、意味のある仕事をしたい」それが宮原の思いだった。
宮原崇 2021年12月入社 野村證券出身 1995年生まれ
実績を残しつつも、どこか自分の仕事に納得ができなかった狐塚と宮原。彼らは共に、約2年半で前職を退職。そして転職先としてM&A業界を選ぶことになる。
転職活動ではM&A業界しか受けていないという狐塚は、その理由を「自ら身をもって事業承継の難しさを知っているからだ」と語った。
「私が小学生の頃、父が、祖父の経営していた不動産系企業を継いだんです。当時、化粧品関連企業に勤めていた父は苦渋の決断で仕事を辞め、経営者になりました。全くの別業界への転職と初めての経営。苦労が絶えずイライラしたり、思い悩んだりしていた父の姿をよく覚えています」(狐塚)
祖母も食品系企業を経営していたという狐塚は、後継者が見つからず廃業を選択した祖母の姿も忘れられないという。
「今でも祖母は、その会社の話をかたくなに語ろうとしません。思い出したくない。それほどに悔しい思いをしたのだと思います」
父と祖母の姿を見てきた狐塚は、「事業承継などで、父や祖母のような思いをする人を一人でも少なくしたい」という思いを強く持っていた。だからこそ、M&Aの仕事を選んだのだ。
一方の宮原は、一貫して「責任ある任務を果たし、それに見合う報酬が得られる仕事」を探していた。金融業界で培った自らの経験を生かすならと、候補はM&A、保険営業、IFA(Independent Financial Advisor)に絞った。そして、その中で最もやりがいと社会的意義が大きいのは、M&Aの仕事だと宮原は結論付けたのだ。
「歩合制の仕事をすることは決めていました。その中で一番自分の希望を叶えられそうだったのがM&A業界だったんです。会社と会社同士の売買。大きな責任が伴う仕事であり、労働人口の減少や後継者不足などの社会課題にもアプローチできる、社会に必要とされる仕事です。自らの働きで人を幸せにできる仕事だなと考えていました」
宮原にとってM&A業界は、自らの仕事が影響を与える人の数、金額、社会的意義、どれをとっても申し分のないステージだったのだ。
こうして二人は、M&A総合研究所で出会った。
「入社を決めたのは、社員の不躾な意見も受け入れ、プラスに変えてくれる文化を感じたからです。代表の佐上との面接でも、結構言いたいことをズバズバ言ったんですよ。それでも社長はその意見に真剣に向き合ってくれて。こういう人がTOPなら、思う存分仕事に打ち込み、どこまでも成長していけるのではと感じました」(狐塚)
雰囲気がいい、風通しがいい、合理的であるなどは実際に入ってみないと分からないと思った、と笑う狐塚。ただ面接時に自分が持った印象は信じられた。出る杭も打たれない会社。それが決め手だったのだ。
宮原も、論理的で数字的根拠に基づく形で、自社の良い面悪い面、そして未来像を語る佐上には好感を持ったという。
「この社長に付いていけば、ビジネス界で勝てそうだなと。それで入社を決めたんですが、入ってみて驚いたこともあって。優秀な人はいくらでもいるんですよね。自分は井の中の蛙だったんだと思い知らされました。M&A総合研究所の社員はとにかくプロ意識、向上心が高い。そこに圧倒されましたね」(宮原)
いい意味でのギャップを感じつつも、宮原は今、自分の仕事の意味を感じながら、迷いなく、純粋に成果を求めて仕事に打ち込むことができていると、充実感をにじませた。
今後の目標は、と聞くと「この世界で結果を残すこと。それだけです」と宮原は真っ直ぐに答えた。また、狐塚は「自分自身のスキル向上はもちろんだが、失敗も含めた経験を後輩に伝え、M&Aアドバイザー全体の底上げにも貢献していきたい」と語った。
転職した意味はあったかという最後の質問に、深く頷いた二人。
「何よりも、今、意味のある仕事をしていると実感できることが誇らしい」と口をそろえた。
さらに狐塚は「学生時代に憧れた、かっこいいビジネスマンになれているかどうかは、外的評価も含まれるのでそうであればいいなと思っています」と大きく笑う。その笑顔がとても印象的だった。
「この仕事に意味はあるのか」
それは多くのビジネスマンが持つ共通の疑問だろう。しかし、多くの人は、この疑問から目を背ける。安定したステージにいればいるほど、その傾向は強いはずだ。しかし彼らは、この疑問を無視しなかった。それは、「もっと成長したい」という強い意欲があったからだ
「ここではないどこかへ」と人が望む時、そこにあるのは、現在地への失望、もしくは未来への希望だ。彼らが持っていたのは後者であり、自らの可能性への希望だった。その果てない向上心がM&A業界で彼らをどこまで押し上げていくのか。彼らが見るだろう次の景色を見てみたいと感じた。
文・笠井美春 写真・小田駿一
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【編集後記】 編集・後藤亮輔(Forbes JAPAN CAREER 編集長)
撮影は外で実施されたのだが、移動の途中、宮原氏と話す機会があった。
本文中には記載がないが、彼の父は過去に証券会社に勤務していた過去があるそうだ。そして、その姿を見て育った彼は同じように野村證券の門を叩いた。
きっと宮原氏の中には、「父の背中を見て、父のように」という気持ちが少なからずあったのだろう。入社し、目覚ましい成績を残し、そして原体験と似た光景を目の当たりにし、彼は今の会社を選んでいる。
昨今、M&Aの事業を始める企業が目立っている。
そこに文脈はあるのか、と思うケースも正直あるだろう。
宮原氏のような原体験をもち、身内の苦労を知っている人間にこそ、この事業で頑張ってもらいたい。
原体験は、いつの時代も人に働く推進力を与えてくれるのだから。