私たちが日々、体に取り込んでいる食物は安心・安全なのだろうか。
この問いに答えるには、衣食住がどんな社会の仕組みを経て、今ここにあるのかを知る必要がある。もしその仕組みがサステナブルでないならば、どんな行動を起こせばいいのか。
本記事に登場する、奥田悠美氏はずっとそのことを考えている。彼女は国内・海外を含めた約50社で人材ビジネスを展開するパソナグループ社員だ。
2018年、代表の金子大輔氏と共に同社内で株式会社タネノチカラを起業。現在は兵庫県淡路島で3ヘクタールもある耕作放棄地の田畑を耕しながら、“農業”を通じた持続可能な社会の実現を目指し、様々な事業に取り組んでいる。
彼女らが目指す世界とはどんなものか。人材派遣のリーディングカンパニーであるパソナを中心としたパソナグループ、そのミッションとの関連性と共に語ってもらった。
まずはじめに、タネノチカラが何をしているのかを説明しますね。
私たちは4人の若手パソナ社員が発起人となり、兵庫県淡路島にある、共創循環型ファームビレッジ “Seedbed”(シードベッド)を運営しています。約3ヘクタールの耕作放棄地を、開墾し、自然の生態系を参考に土づくりから再生するプロジェクトを行なっているんです。
具体的には、人が入れなくなってしまった場所の草刈りから始まり、土づくり、畝立て、播種、収穫、タネどり、そしてアースバッグハウスという土嚢(どのう)で作られた建造物を製作したり、フィールドの作業は多岐に渡ります。
野菜は自然栽培といって、農薬や化学肥料を一切使わずに、虫や生き物、雑草と共存させて育てる農法で育てているのが特徴です。メンバーが明確に役割分担しているわけではなく、全員で農をベースに暮らしを実践しています。
ちなみに、私たちが日頃行なう作業を体験プログラムにしたものが現在の収益の柱になっています。
ある時パソナの人事部から、社内ベンチャーを立ち上げた立場としてインターン生や新入社員向けに話をして欲しいと言われたことがあって。その中で参加者に実際の作業を体験してもらい、非常に好評だったこともありサービスとして確立していきました。
このプログラムは小学生から法人向けまで幅広い年齢層をターゲットに展開しているのですが、SDGsへの関心の高まりもあり、問い合わせが急増しています。
SDGsは言葉で説明すると、理想ではあるけれどどうすればいいのかよく分からないと思われがち。けれど「循環」や「多様性」という概念も、私たちのフィールドでは手に取るように体感できます。
「SDGsというのは難しいことじゃなくて、すごく自分に関係あることなんだよ」というのを話した後、実際に土を触ってみたり、雑草の役割を理解したりします。触って、見て、匂いを嗅いで、体感して。そんな風にしてSDGsを自分ごとにしてもらうんです。
ちなみにシードベッドって聞き慣れない言葉ですよね。実は「苗床」(びょうしょう)と言って、苗を育てる場所という意味です。まだ芽が出ていない、気がついていない人たちに問いを投げかけることで、彼らが自分の考えを持って芽を出す場所でありたいなと思って名付けました。
自分たちの衣食住が何から出来ていて、どんな社会の仕組みを経て私たちの手に届いているのか。体験プログラムではそんな問いをどう投げかけたらいいか、常に試行錯誤しながら取り組んでいます。
このお土産のような「問い」こそが、タネノチカラがもつ価値。
提示された正解ではなく、現状を健全な批判を持って見ること。そうして問いに対し、模索しながらもより良いと思う方へ行動していけるような人を増やしたいのです。
パソナ新入社員に向けて、現地でタネノチカラの活動内容を体験をしてもらったときの様子
なぜパソナが、この事業にゴーサインを出したのか。それはパソナの企業理念である「社会の問題点を解決する」が関係しています。
パソナといえば、人材派遣ビジネスが思い浮かぶかと思います。でもこれは、創業当時にあった「女性の社会進出」という大きな課題を解決するための、手段の一つでしかなかったんです。
パソナは、その後も時代に合わせて様々な社会課題と向き合い、解決し成長してきた会社です。事業で培ったノウハウを活かしながら、現在は地方創生にも力を入れています。
私たち自身がタネノチカラの事業を始めた背景にも、「社会の問題点を解決する」という、強い思いがあります。
代表の金子はパソナ入社以前より常々「人の幸せや豊かさとは何か」、という問いについて考え続けていました。
学生時代から様々な仮説を立てていた彼が最終的に出した答え。それは、人間の豊さの根源は「食と健康」と大きな関わりがある、というものでした。
「食と健康」についてどんな課題があるのかと調べると、数多くの問題に行き着きます。現在私たちが当たり前にスーパーで買う野菜の元となる「種」、その安全性の問題は最たる例。
大量生産、大量消費のための作られた種は弱く、農薬や化学肥料に頼らざるを得ません。
数少ない有機農業も、遺伝子組み換え飼料を食べた牛の糞を肥料に使うことが多く、農薬や肥料等は輸入されたものが大半で、日本の食料自給率は実質ゼロ%に近いという現実。
固定種、在来種で種を繋ぎ、自分達の力で何にも依存せずに、食べ物を作る方法はないものか。本当に安心・安全だと思える食料を確保出来る力こそが、これからの社会には絶対に必要ではないか、と思い至りました。
とはいえ、ただ安全な野菜を作って売る、だけではない事業をやろうと。それは私たちが課題として感じていること、それをどう解決していくのかという「過程」を社会に発信していくことに意味があると思ったから。
当時の私は、毎日スーツを着て、8センチヒールを履いたバリバリの営業担当。他のメンバーも含め、農業の知識は皆無でした。
でも、できないことを並べるよりも、あるべき姿を描き、今できることに夢中になっていたら半ば強引に代表にプレゼンの機会を得ることができたのです。
パソナのビジョンである「社会の問題点を解決する」という、大きな視点と照らし合わせて、自分たちなりの社会課題と解決策を伝えた結果、「まずはやってみろ」と。2週間後には事業を開発する部署に異動、3か月後には会社を設立していました。
パソナと私たちのミッションがつながったことで、会社を飛び出さずに事業を立ち上げられたのは本当にありがたいことでした。
アースバッグハウスの前で、タネノチカラのメンバーと
代表の金子がよく話す、ある計算式があります。
それは「一人が二人に本気で伝えることを33回繰り返すと、86億人になる」というもの。2の33乗、です。
この86億人というのは、2030年の世界の予測人口。
ということは、シードベッドに来てくださった方一人ひとりが、問いを持ち帰り、それぞれの答えを見つけ、周りの二人に話し、その二人もまた自分が抱いた問いとその答えを別の二人に話す......これを33回繰り返せば、理論上、世界中の人に私たちの活動や投げかける問いが伝わるということになります。
もちろんそんなに簡単な話ではありません。
経営陣からは収益について厳しい目を向けられていますし、シードベッドの存在価値を上手に伝えられていない反省点もあります。
企業のCSRやブランディングではなく、本質を事業に取り込むことは難しい。だからこそやる意味があると思っています。私たちが見ているのは直近の売上ではなく、10年、20年先の社会。
一部上場企業で働く会社員の中から、社会に対する疑問を持つ若者が出てくるということが、実は非常に重要なことかもしれません。
企業イメージやグループ全体のつながりの中で実践していくことの難しさを日々実感しています。私たちがただ社会から離れて、自給自足の暮らしをしていても社会は大きく変わらないでしょうから。
今はまだタネのような小さな力だけど、大きな可能性も秘めていると信じて、社会に問いを投げかけ続けたいですね。
文・櫻井朝子