「いまだから言えるけど東大の大学院に入ったのは、どうしても研究したいことがあったから、ではないんですよ。起業をサポートしてくれて、しかもエンジニアがいっぱい集まっているという環境があったから」

そう言って笑う施井泰平は、スタートバーン株式会社の代表取締役であり、「泰平」名義で活動する現代美術家だ。多摩美術大学で油絵を学び、卒業後、インターネット時代のアートをテーマに創作活動を開始した。

そのなかで、「アートの世界はアナログすぎる」「テクノロジーを駆使してインフラを整えなければ、アーティストがアートで生きていけない」と感じるようになった。

ひとりのアーティストとして作品をつくるだけではなく、アーティストが適正な評価を受ける土壌をつくる、という創作活動に火がついたのだ。アート市場に多くの人が参入できる民主化された世界にするために何ができるのか。

施井の自問自答の日々は、“すぐに”終わった。アイデアがすぐに浮かんだのだ。

現代美術家がブロックチェーンで起業するまで

それは二次販売、三次販売、四次販売と作品が売買されるたびに、買値からアーティストに還元していくというもの。システムとしては昨今現れてきているブロックチェーンプロジェクトの性質とよく似ており、結果的に時代を先行したかたちになった。当時、「これはいけるけど社会実装には時間がかかる」と考えた施井は、すぐに特許を取得した。

ただ、個人でそのプラットフォームを完成させるのには無理があった。ひとりでやるためには、あまりに時間も手間もかかる。色んな方法に挑戦するたび何度も失敗した。

創作活動と並行して東京藝術大学で非常勤講師を勤めるなど、フリーランスのエンジニアとして生計を立てていた施井は悩んだ。そしてある時、ふと、その答えを得ることになる。東京大学には大学発ベンチャー支援施設があり、そこに行けば最高峰の起業支援を受けられることを知ったのだ。

「東大の大学院に行けば起業のサポートをしてくれるし、銀行もお金を貸してくれるはず。優秀なエンジニアもきっといるし、自分が思い描くインフラを構築できるはず。そう思い、背水の陣の気持ちで入学を決めた感じです」

こうして、現代美術家であり、ITベンチャー企業の経営者、という異色の肩書きを持つ男が誕生した。


壁面に飾られているのが、現代美術家としての施井の作品

アーティストにとって必要なのは稼げる土壌

アート市場には、面白い特徴がある。それは、セカンダリー市場(いわゆる中古)がもっとも盛り上がるということ。昨今、話題になったバンクシーのシュレッダー絵画騒動を覚えている人も少なくないだろう。まさにあの事件はオークション会場で起きたものだ。

しかも、アートは時間を重ねて価値が上がるケースが多い。アーティストのキャリア形成や所有の来歴、歴史的な評価がその価値を底上げしていくのだ。没後にようやく評価されたゴッホはそのわかりやすい例だろう。

問題はこれだけ盛り上がるのに、アーティストへの還元がまったくないということ。転売のたびに価値が上がっていっても、作品を手放しした後は一銭も身入りがないのである。これでは、若手アーティストは育ちにくいし、市場は活性化しない。

施井がメスを入れたのは、まさにここだ。

ブロックチェーンネットワークを活用し、アーティストの各作品に証明書を発行。作品のタイトルやサイズ、制作年度、作者情報、来歴情報などのデータをブロックチェーン上に記録し、他のアート関連サービスや機関と共有可能にするというものだ。

これにより、アーティストの作品の来歴を追い続けることができ、二次流通の管理もできるようになる。例えば二次販売、三次販売、四次販売とすべてのタイミングで、アーティストに還元することかも可能に。その還元はアーティストの活動資金になり、次のアート作品づくりに繋がるのだ。もちろん、還元金を望まないアーティストは外すことも出来る。

この証明書発行こそが、アート業界全体を救う重要なステップになると施井は考えたのである。

全てはアートが育ちやすい環境を構築するため

スタートバーンはブロックチェーンの技術力を活かし、他社とのサービス共同開発、共同ブランド創造、ブロックチェーンネットワークに繋がるASP提供などの形でビジネスを展開しはじめている。これらは、前述の「アート×ブロックチェーンネットワークでの証明書発行によりアート市場を活性化」に繋がる基盤づくりにも一役買っている。

丹青社と共同開発しているプラットフォーム「B-OWND」がその最たる例だ。工芸作家のマネジメントから始まり、作品情報をブロックチェーンに繋げ、国内外に魅力を発信したりするサービスだ。スタートバーンは、主にブロックチェーンを主軸にするIT企業してのシステム開発支援、そしてオンラインでの作品売買の知見共有などを行なっている。

このように、アート×ブロックチェーンをキーワードに事業を展開しているスタートバーン。ここまで“アート”の印象が強いと感じた人も少なくないだろうが、もう一つ、こだわっているポイントがある。それは「公共性のあるプラットフォーム」を作っているということだ。

「スタートバーンは、『アートの民主化』というテーマを掲げているんですけど、要するに間口を広げる、ハードルを下げるということ。最上部のアートは今まで通り難しくていい、食べれる人は食べられているから。そうじゃなくて、ちょっとアートと接したい人が気軽に入れるようにしたいんです。

間口が広がって、そこに様々なアーティストとアートを求める人が集まることによって、市場が活性化して、競り合ってアートのクオリティも上がっていくと思うのです。

いわゆる新鋭の中に突飛なものが出てきて、業界の構図が一気にアップデートされたら面白いですよね?例えば元ユーチューバーのジャスティン・ビーバーが世界的歌手になったみたいに、その辺の高校生が気づいたらトップアーティストになっていたなんていう夢物語が描けるような環境にしたいなと。音楽はできても、アートでできないわけがない」

そのためにも、技術革新に余念がない。関わっているスタッフ全員で「これは本当に上手くいくのだろうか」「上手くいかせるために、他に何かできるのだろうか」と日々、試行錯誤を続けている。

アート×ブロックチェーンネットワークの思想の軸は「脱中央集権」。つまりスタートバーンは主役でなくていい、あくまで脇役でいいのだ。アート作品と人をつなぐ、ストーリーとストーリーをつなぐ役割を果たせさえすれば。

「僕らは目立たなくていいんです。誰も気づかないけれど、実はスタートバーンが推進したテクノロジーの影響でアート市場を活性化し、気がついたら日本のアートが盛り上がっていた......。そんな状態があれば、それで僕は幸せです」

その先にあるのは、日本とアートの明るい未来。

「20年以内に日本をアート大国にしたいですね」そう言って、施井は瞳を強く輝かせて笑った。