伝統的なものづくり企業。あなたがその跡取りだったとしよう。
家業を継ぐためには、どこでどのような「修行」をすればいいのだろうか?
さらに問いを重ねる。変化の激しいこの時代で「ものづくり」と「経営」の二つの歯車を噛み合わせていくために、どのような施策を行うべきだろうか。技術やPR戦略の刷新、グローバル進出、組織づくり......やるべきことは山積みだ。
今回、登場するのは銘酒「真澄」で名を馳せる宮坂醸造の若旦那、宮坂勝彦氏。長野県諏訪市で日本酒の酒蔵を営む宮坂醸造は、1662年創業の老舗蔵元。後継ぎとして、大学に入学した頃から家業を継ぐことを決めていたという宮坂氏。大学卒業後に他業界で視野を広げるために彼が「修行」の場として選んだのは、意外にも百貨店だった。
4500字のインタビューから、彼が会社、そして地域にどうアプローチしていったのか、丁寧に追いかけたいと思う。
百貨店は酒蔵と同様に老舗企業が多い業界です。長い歴史のなかで培った事業ノウハウは酒蔵の経営にもきっと役立つと思い、百貨店の門を叩きました。
入社後は1年目に婦人服のフロア、2年目は食品フロアを担当。業務のなかで様々な人気ブランドに触れましたが、そのどれもがブランドのフィロソフィーに沿って経営判断を下していることに気づきました。
人気ブランドは、製品や店舗の設計はもちろん、マーケティングにも企業哲学を反映させています。店舗スタッフも同様で、フィロソフィーに沿った価値観を持つ人を採用していました。お客様に愛されるブランドをつくるためには、ここまで徹底しなければいけないのだと、当時の僕の胸に刻み込まれました。
その後、ロンドンに拠点を持つ日本酒特化の業務用卸会社へ転職。日本酒の世界展開を直接この目で見ようと、現地で主に飲食店向けのセールスを行いました。
ワインやウィスキー、さらに香水やチョコレートなどの嗜好品ブランドを抱えるヨーロッパ。私はそこで暮らしながら多くの生きた事例を体感しました。彼らの徹底されたブランド姿勢は、文字通り私の血肉となったのです。
これらの百貨店とロンドンでの経験から、「確固たる企業哲学と事業への徹底した落とし込み。これこそが嗜好品業界の零細企業が生き残る唯一の方法である」と確信に至りました。
ロンドンでの修行を終え、私は帰国して家業を継ぎました。幼い頃から見ていた家業でしたが、経営に参加すると抜本的に変えるべき箇所が、いくつも見つかりました。
その一つが、価格設定です。
美味しい日本酒をつくるためには相応の原価がかかります。しかし当時の価格設定は「業界ではこれくらいだから」と原価に見合わないものにしてしまっていた。十分な販促費が確保できず、利益も少ない。社員のやりがいや組織風土にも影響を及ぼす問題でした。
加えて逃れられない事実がひとつ。日本酒業界にとって最大の顧客であった団塊の世代が、数年のうちに市場から徐々にいなくなっていく、ということです。
「このままでは事業が衰退してしまう。そんな未来だけは避けたい」、そう、強く思ったことを覚えています。では、まず何をするべきか。根本から変えるため、宮坂醸造の新たなフィロソフィーを掲げました。
「人 自然 時を結ぶ」
これは、代々大切にしてきた宮坂醸造の哲学である「奇抜な個性を売り物にしない。心を磨き、人を育み、米を選んで、本物だけを求め続ける」から生み出されました。
この理念を実現するために、まず手をつけたのが酒造りそのものです。私たち宮坂醸造発祥の七号酵母を使った酒造りにシフトし、一貫したフィロソフィーを感じさせる商品への改革を進めました。
私が家業を受け継ぐ前は、主要な市場となる大都市で華やかな香りの日本酒が好まれました。そのトレンドを追った酒造りを続けたことで生まれてしまった一貫性のない商品ラインナップ。脱却への足掛かりとして選んだのが、宮坂醸造発祥の七号酵母だったのです。
トレンドである華やかさな香りとは逆に、七号酵母の特徴は食事を引き立てる穏やかな味わいを作り出すこと。自己主張しすぎないその特徴が、「人 自然 時を結ぶ」という新しい理念にも合致したことで、七号酵母に軸をおいた商品開発に迷いなく進むことが出来ました。
並行してブランド発信強化も行いました。良いものを作っているだけでは売れない時代。酒蔵の歴史やフィロソフィーを伝えるために、Webサイトの改修を行いました。また、SNSや動画の活用をはじめ、ターゲティング広告の運用も始めています。
宮坂氏がディレクションした、宮坂醸造の七号酵母を使った日本酒「真澄」Webサイト
これらの施策には多大なエネルギーと時間を必要とします。しかし振り返ると祖父も父もそれぞれの時代に合わせた転換や挑戦を繰り返してきた結果、今日の真澄がある。宮坂醸造を継ぐものとしての使命感を持って取り組んでいます。
家業のアップデートを続けるうちに、私は地域の持続可能性についても考えるようになりました。
なぜならは酒造りはその土地そのものが味わいの要素となるからです。日本酒は同じ原料を使っても、蔵がある土地の風土と水で味を変えます。だから宮坂醸造の酒は、諏訪でしか作れません。
さらに酒造りは職人である蔵人の力量に負うところも大きい。真剣に仕事に打ち込み、確かな技術を持つ蔵人がいれば、良いものができます。
優秀な蔵人が心身ともに充実した状態で働くためには、彼らとその家族が豊かに生きることが出来る地域であり続けなければならない。だからこそ、諏訪を小さくとも強い地域にできればと考えているのです。
具体的な活動としては、食や街並みを通じた地域の魅力創造と発信です。私は伝統食品の製造に関わっていますし、立場上、食を通した施策にも関わりやすい。そこで地元の旅館や飲食店と共に、諏訪でしか食べられない食材や調理法を使ったメニューを開発・提供し、県外に向けてPRすることも活動の一つですね。
経済的な大都市を目指すのではなく、フランスのボルドーのような美しく魅力的な地方のモデル地域となること。それが諏訪で暮らす人々への恩恵につながり、ひいては宮坂醸造にとっても大きな強みになるのではなると考えています。
また2013年には日本各地で出会った伝統食品の若き担い手と共に「HANDRED」というユニットを結成しました。
実は、日本で製造・消費されている醤油や米酢のほとんどは伝統的な製法では作られていません。私たちユニットメンバーは、日本の歴史ある製法と味わいを途絶えさせたくないという思いから、様々なイベントやWebサイトを通じてものづくりへの思いを発信しています。
2019年にはキリンビールが主催するCSR活動『地域創生トレーニングセンタープロジェクト』に参加しました。日本各地で食を通じて、地域創生を行う様々なプロデューサーと関係性を築いたり、地域を盛り上げるアイデアや課題解決のケーススタディを得ることができました。
参加メンバーとは今でも毎週のようにオンラインミーティングを行い、経過報告を行なっています。場所は違っても、共に地域振興に関わる人と繋がることができ、活動の励みになっていますね。
地域振興やブランディングはすぐには成果が出ませんし、長期間にわたり地道な活動が求められます。苦労して活動を続けても、ファンになってくれる人は100人のうち1人いるかいないか。しかし、理念を徹底して事業に落とし込み、地道にファンを増やし繋がり続けることこそ、我々の事業やまちづくりにおいて必要不可欠だと信じています。
昨今ではコロナショックが起こり、自宅で過ごす人が増えました。SNSを見れば自炊を楽しむ人が増え、食への関心も高まっている。さらに今後は密である都市部から地方への移住を考える人が増えていくでしょう。そうした中で、選んでもらえる酒と地域になれるよう、諏訪と宮坂醸造の明るい未来づくりに邁進したいですね。
文・鈴木雅矩