最終回。なぜ盛岡に多数のベンチャーが生まれ、存続し、TOLICの旗の下で連携を深め、着実な成長を続けているのか?この謎を明らかにするとともに、今後の展望を占う。
さて、この連載も今回で最終回となる。まとめと今後の課題・展望を記してこの連載を終えたい。まず、第1回で提示した謎を暫定的に解いておこう。とはいえ随分前の話でもあり、この謎とはなんだったかをまず思い出していただきたい。
経済産業大臣(右)にpipettyの商品説明をする片野(左)
地方の巨大事業所(工場)が閉鎖した後に、多数のベンチャー企業が生まれ、それらが倒産することなく(ベンチャーの平均寿命は5年以下と言われている)、事業を継続し、さらに各ベンチャーが連携してじわじわと成長している。
このような事象が盛岡のアルプス電気(現アルプスアルパイン)盛岡工場撤退後にのみ観察される。これが謎である。
最終回に当たり、その答えを以下に列記しておこう。
第一に、工場は撤退したが、そこで育まれた技術は残ったからである。アルプス電気は盛岡工場を撤退した。しかし、人は残った。そして、盛岡にとどまった退職者の多くが技術者であった。彼らはアルプス電気で培った技術を生かし、ベンチャー企業をスタートさせた。
第二に、アルプス電気盛岡工場で生産していた商品がプリンターであったということにも着目したい。プリンターは、紙送り、画像解析、塗料、プログラミングなどさまざまな技術で成り立っている。
多種多様な技術が盛岡に残ったことが、「画像処理ならあいつに頼もう」「金型ならあいつのところに相談しよう」という具合に、ベンチャーどうしの連携を可能にした。盛岡工場で生産していたものが例えばカーステレオであったとしたら、同じことが起こり得たかというと、それは大いに疑問である。
第三に、彼らはアルプス電気を退職したが、アルプス電気との結びつきは残っていた。彼らはアルプス電気で培った技術でアルプス電気から仕事を受注することができた。これはおそらく各ベンチャーが独自の事業を開発していく助走期間の間に、安定的な収益をもたらしたと思われる。ものづくりの難敵は、なんと言っても不確実性である。
第四は、前に挙げた三と関連する。アルプス電気退職組は、同じ企業風土の中で技術者として仕事をしてきた者同士であり、仕事を進める上での共通のフォーマットがあった。これは、ベンチャー同士の連携においては、目立たないながらも潤滑油の役割を果たしていた。
第五に、助走期間において、国や県の競争的資金を獲得できたことが大きい。これについては、これからの地方は大企業の誘致には頼れなくなるだろうから、地元の企業や産業を育てようという認識に立って、迅速に行動した岩手県庁職員らの功績も見逃せない。
第六は、医療機器産業という、大きな需要が見込まれるにもかかわらず、様々な理由で日本ではまだ未成熟である市場に着目し、そこに向けて連携したことである。一言付け加えておけば、医療産業の開発を目標に掲げている地方都市はたいへん多い。にもかかわらず、TOLICがとりあえず前進しているのは、他の要因との“合わせ技”によると考えられる。
第七、最後に彼らが持っている郷土への思い、パトリオティズムを挙げたい。グローバルな市場を目指しつつも、自分たちが住んでいるこの郷土を豊かにしたい、暮らしよいものにしたい、という思いが人一倍強い片野圭二(アイカムス・ラボ代表)がTOLICの中心にいるということである。
以上、概観してきたが、ここでまず気づかされるのは、大企業の力である。
2020年4月に完成を迎える、ヘルスティック・イノベーション・ハブ
大企業の技術力とネットワークが盛岡に残ったことが非常に大きい。日本は中小企業が多く、多くの日本人が「中小企業が頑張っている」「中小企業こそが工業立国日本を支えている」という物語を好む。
ドラマなどで、中小企業の血と汗と涙の結晶である技術力や研究成果を巨大企業が掠め取っていくという展開は誰しも一度や二度みたことがあるだろう。フィクションにおいては、“小さな者が大きな者に挑戦し、やや勝ちする”という物語のフォーマットに合わせてストーリーを展開させるのが定石である。
なぜそのようなものが好まれるか?それは現実ではほとんど不可能だからである。長期間にわたってじっくりと技術開発に向き合うには、現実では、圧倒的に大企業が有利である。日本の国力や日本の経済が低迷を続けている原因の一つに、日本は中小企業が多すぎるという指摘もある。
さて、大変に希有なことが盛岡を中心に起こっていることは確かである。
この現状を冷静に眺めて、さらにわかりやすい日本語に翻訳して査定してみれば、TOLICは「相当に頑張っているが、まだ劇的な飛躍をもたらしてはいない」状態にあると言えるだろう。
では、今後に期待される劇的な飛躍とはどのようなものだろうか。その具体的なイメージを、妄想を膨らましつつ無責任に連ねてみようと思う。
私は以下のような状況が起こればこれは真に画期的であると思う。
1. TOLICの経済規模がさらに拡大し、TOLICで創出する雇用が劇的に増加する。
2. TOLIC内のベンチャー企業どうしで、給与の取り決めが行われ、TOLIC内での、平均給与が上昇する。その数値は、県内の平均値よりもかなり高くなる。
3. 東北圏以外からも、「医療機器産業を起こすならば、東北のほうが有利だ」とやってくる人間が増加し、人口流入が起こる。よって岩手県や東北の人口が増加する。人口が増加し、岩手県内、ならびに東北の生産高も上昇する。医療機器事業メーカーがどんどん東北に移動しはじめる。
4. TOLIC内の発注・受注にとどまらず、ネットワークがさらに強固になるような体制づくりに移行する。これによって、TOLIC内の企業が経営破綻に至った場合、比較的余裕のある企業が吸収合併したり、TOLIC内で雇用を引き受けるような体制づくりが確立する。
5. 岩手大学、秋田大学、東北大学などの地元の大学の卒業生、都内の大学に進学した卒業生の多くが、TOLIC内企業に就職する(あるいは、一定期間、都内の大手企業に勤務した後、TOLIC内企業に就職する)。
書いてみると、夢物語という感はする。
では、これらを可能にするものは一体何だろうか。
やはりそれはイノベーションであろう。イノベーションを可能にするものなにか。「棚からぼた餅」のような幸運を除けば、優秀な人間がじっくりと腰を据えて研究開発することではないだろうか。
そのために何が必要だろう。的確な人材・機関への長期的な資金の投入だろう。高度成長期の大企業は、このような長期的な研究資金を用意していた。
しかし、これはベンチャーには不向きである。また、今日では大企業とてそのような体力はなく、外部に委託する形で研究を進める例が散見される。となると、順当に考えて、次に登場願うのは、公的機関である。とくに国だ。国は、公平性を担保しつつ、日本の将来のためにも投資を行うべし、というのが私の意見である。
そしてネットワーク。僕はこれまで何度か、「ベンチャーどうしが連携し──」とか「ベンチャー間のネットワークが──」などと書いてきた。しかし、この連携やネットワークの実体が、発注や受注に留まっている限りはまだ初期段階と言うべきである。さらなる強固なネットワークがないとTOLICの独自性は打ち出せない。
岩手山
片野圭二はTOLICのブランディングの確立が急務であると感じている。そのためにはTOLICを構成する企業の中に突出したものがあることが望ましい。
さらに片野の野望に即して言えば、そのビジネスが、受注によって良好であるというだけではなく、B2CであれB2Bであれ、“ものづくり”であるべしということになる。ならば、そのためにはまず、アイカムス・ラボこそが医療機器メーカーとして飛躍することが重要である。
電動ピペットが、日本の医療現場におけるピペット全体に占める割合は6%、さらにアイカムス・ラボの商品であるpipettyが電動ピペット市場でのシュアは14%である。
まだまだ未開拓の市場がここにある。まず、医療現場における電動ピペットのシュアを押し広げることが重要だろう。さらに電動ピペット市場におけるアイカムス・ラボのpipettyが占める割合を上昇させる。
電動ピペット市場の市場の中で、pipettyは頭一つ抜きん出た性能を持っている。この片野圭二の言葉をそのまま受け取るならば、このすぐれた機能にふさわしいだけのシュアが獲得しきれていないということになる。求められているのは市場開発努力ではなかろうか。
本年4月、岩手県の工業技術センター横の敷地に、ヘルスティック・イノベーション・ハブが完成する。この敷地面積約6500平方メートルの2階建てのビルに、TOLICの医療機器産業に携わるベンチャー企業が数多く入居する予定となっている。
施設内には、談話室や給湯室、多目的ルームやシャワールームなど入る予定だ(個人的にはカフェと食堂が入れるべきだと思う)。ベンチャーどうしの連携はさらに強固になると思われるが、ハードによる連携以上に、真に強固なネットワークを築けるかに注目したいと思う。
(完)
第1話 新年の盛岡。激震が走った工場撤退の一報
第2話 「岩手に起業家はいるのか」・・・疑念からはじまった県のベンチャー支援
第3話 はじまった盛岡、ベンチャー狂騒曲
第4話 集う実力派エンジニア。始動した第一号ベンチャー
第5話 4250万円の開発資金を手にした時に見えた、女神の姿
第6話 進まぬベンチャー支援。盛岡に光を!
第7話 産官連携の新たな形。投資の理由は、片野圭二という男の可能性
第8話 夢、破れた男。そして再起
第9話 夢破れた至高の技術で、男は再び勝負する
第10話 盛岡に現れた、新たな雄。東北を動かす異端の登場
第11話 高校生とドイツへ。そこで明らかになった日本、そして盛岡の立ち位置
最終話 盛岡で起きた、必然という名の奇跡
文・榎本憲男(えのもとのりお)
小説家 『エアー2.0』で大藪春彦賞候補。ロックとオーディオ好きな刑事を主人公にした『真行寺弘道シリーズ』で新しい警察小説の可能性を切り拓いたと注目を浴びる。最新刊は『エージェント 巡査長 真行寺弘道』。