医療機器の製造に活路を見いだしたアイカムス・ラボの片野社長は、TOLIC(東北ライフサイエンス機器クラスター。岩手県盛岡市を中心に東北全体に連動する医療機器産業の連合体)を立ち上げる。

この団体の命名者は、片野と一緒に岩手を盛り上げようと盛岡に戻ってきた岩渕拓也である。岩渕はアイカムス・ラボを作ったpipettyを見て、これは海外で売るべきだと提言し、TOLICは世界最大の医療機器の見本市MEDICAにブースを出展することになる。そして昨年のMEDICAは、例年とは一風変わった一行での参加となった。

【登場人物】

片野圭二

アイカムス・ラボ社長 TOLICの中心的メンバー

岩渕拓也

セルスペクト社長 TOLICの海外展開を推奨

長村大樹

私立盛岡中央高校二年 世界最大の医療機器の見本市MEDICAに同行。

藤原羽沙

県立盛岡第一高等学校二年 世界最大の医療機器の見本市MEDICAに同行。

【その他用語】

pipetty(ピペッティ)

アイカムス・ラボが開発した電動ピペット

POCT(Point Of Care Testing)

「臨床現場即時検査」と訳される。その場ですぐにできるヘスルチェックサービス。セルスペクトの場合は血液検査を行っている。


経営者と教諭との飲み会。「冗談半分」のアイデアが実現に至る

2019年11月16日、片野たちTOLICのメンバーは、ドイツのデュッセルドルフに向けて出発した。世界最大の医療機器展示会MEDICAに出展し、自分たちの商品を世界市場にむけて販売促進するためである。

主たる商品は、アイカムス・ラボのpipetty、セルスペクトのMSA-AD(その場で気軽にできる血液検査の装置)など。この国際的な展示会の参加は、セルスペクトの岩渕がアイカムス・ラボの片野に提言して実現した。

片野は当初、国際マーケットについては、まず日本で実績を上げてからと考えていたが、岩渕がいますぐに行くべきだと提言し、TOLICを結成した2014年からずっと参加し、徐々に国際的な販売網を広げている。

しかし今年は、例年とはまた趣が変わったドイツ行きとなった。一行の中に、高校二年生が2名入っていたからである。

藤原羽沙(県立盛岡第一高校二年)、長村大樹(盛岡中央高校二年)はともに17歳。TOLICが昨年夏、「一緒にMEDICAに行ってみませんか」と県下の高校に呼びかけたところ、6名の応募があり、上記のふたりが選ばれた。

高校生ふたりの渡航費と宿泊費の半額は、TOLICのメンバーに寄付を募ってこれに充てられた。地方のベンチャー企業の組合が、海外の展示会に地元の高校生を引率し、体験してもらう。このアイディアは実は異例の早さで実現した。最初にこの話が出たのは、昨年の六月の酒の席であった。

片野は盛岡第一高校の今村教諭と飲んでいた(よく飲む人である)。その席で今村ほうから「うちの生徒を海外に連れて行ってくれませんかね」という話が出た。県立盛岡第一高校は、文科省から「スーパーグローバルハイスクール」の指定校に認定されている。

スーパーグローバルハイスクールの目指すところは、かいつまんで言えば、グローバルに通用する人材を育てる教育をしていこうということ。

「それはいい。おもしろい。やりましょう」と片野はすぐに同意した。通常、こういう酒席で意気投合して交わした約束は、酔いが醒めると忘れられるものであるが、片野はすぐに動いて、TOLICの仲間を説きつけた。

盛岡の企業は、世界でどう映っているのか

逆に焦ったのは言い出した側の高校のほうである。今村教諭の言葉は個人のアイデアであり、まだ学校を代表するものではなかった。6月に出たアイデアを11月に実現させるとなると、当初の計画にはないものをねじ込むことになる。

こうなると、オーソライズは、特に公立学校内においては、簡単にはいかない。普通なら、「では来年から」となるところを片野が粘り、学校側もこれに柔軟に対応して、七月末にOKが出た。その勢いのままに八月に公募をかけ、上記2名を選んだというわけである。

なかば強引に進められた計画だったと言えよう。そして、「それはいい」と即断し断行した片野も、実はこのアイデアのいったいどこがいいと感じたのかについては、この時点では整理できてはいなかった。

一方、参加した高校生ふたりの志望動機はわりと明白である。両人とも「海外を見てみたかった」。そして、この場合の“海外”とは世界の最先端を意味すると思われる。そういう意味で、世界最大の医療機器展示会のMEDICA行きは参加者ふたりの気持ちを揺さぶったのだろう。

また、長村君は1学年の修学旅行で、アメリカのポートランドに二週間滞在している。また、藤原さんが通う県立盛岡第一高校はスーパーグローバルハイスクールの認定校でもある。どちらもグローバルな人材育成のカリキュラムだといえる。高校生が海外を見てみたいというのは今も昔も変わらないと思うが、ふたりの志望が、グローバルな時代を強く意識して構成された教育カリキュラムやグローバルな時代の空気の影響下にあることは確かだろう。

さて、片野は、実際に渡独し、自分たちのブースで高校生が展示員として活動する様子を見ながら、自分がこのアイデアのどこに感銘したのかを徐々に理解していった。片野が強く意識しているのは、海外よりもむしろ郷里のほうである。

自分が高校生に見てもらいたかったのは世界の最先端はもちろんであるが、その中での日本の位置づけ、そしてグローバルな市場に食い込もうとしている地元企業の姿であった。つまり片野が海外に連れて行って見せたかったのは、世界よりもむしろ地元だった。

ドイツで見た、日本のリアル。「もはや圧倒的ではない」

では、それを見た高校生はどのように感じたか。長村が展示会場で圧倒されたのは、中国とアメリカという二大大国の圧倒的な存在感だった。それに比べて日本の企業の影の薄さが意外だったという。

日本はものづくりにおいて高い技術を有していると思い込んでいたが、少なくとも医療機器においてはマイナーな存在であると認識を新たにしたわけである。

さて、われわれ現代人は大きくはふたつのレイヤーからなる世界に生きている。グローバリズムとナショナリズムである。自分の才覚で国境を越え、自分の能力を存分に開花させる。

どこの国や地域にも帰属意識を持たず、どこの歴史にも属さない。そして稼いだ金で快適で充実した人生を送ろうと邁進する。このような生き方は高学歴もしくは非常に能力の高い人間にしかできない。彼らはグローバルエリートと呼ばれる。

一方、国や地域に根ざす市民は、いまだに国民国家を信じ、特定の国や地域の歴史に帰属意識を持ち、伝統や人間的な関わりの中で自分のアイデンティティーを編み上げていく。このような人たちは、共同体の中にこそ充実した人生があると考える。

アルプス電気盛岡工場が撤退した時、盛岡に残ってベンチャー企業を立ち上げたTOLICのメンバーの多くは、後者のバイアスが強い人たちである。このような人はコミュニタリアン(共同体主義者)と呼ばれる。コミュタリアンは簡単に言ってしまえばナショナリストの変形である。

ふたりの高校生は来年受験を控えている。志望校を聞いてみるとともに一流大学を受験するようだ。日本において一流大学を卒業するということは将来の選択肢が広がるということを意味する。デュッセルドルフで中国とアメリカの圧倒的なパワーを感じた長村は、どのような進路を選ぶのだろうか。

帰路、片野は、TOLICのブランド化が急務だと感じでいた。医療機器の最先端ブランドを盛岡に作ろう、そして、生まれた土地に戻ってくる優秀な人間をひとりでも増やしたい。そのような地方再生のモデルとなることがTOLICの使命であると感じていた。

(続く)

 


【連載】東北再生

第1話 新年の盛岡。激震が走った工場撤退の一報
第2話 「岩手に起業家はいるのか」・・・疑念からはじまった県のベンチャー支援
第3話 はじまった盛岡、ベンチャー狂騒曲
第4話 集う実力派エンジニア。始動した第一号ベンチャー
第5話 4250万円の開発資金を手にした時に見えた、女神の姿
第6話 進まぬベンチャー支援。盛岡に光を!
第7話 産官連携の新たな形。投資の理由は、片野圭二という男の可能性
第8話 夢、破れた男。そして再起
第9話 夢破れた至高の技術で、男は再び勝負する
第10話 盛岡に現れた、新たな雄。東北を動かす異端の登場
第11話 高校生とドイツへ。そこで明らかになった日本、そして盛岡の立ち位置
最終話 盛岡で起きた、必然という名の奇跡


文・榎本憲男(えのもとのりお)

小説家 『エアー2.0』で大藪春彦賞候補。ロックとオーディオ好きな刑事を主人公にした『真行寺弘道シリーズ』で新しい警察小説の可能性を切り拓いたと注目を浴びる。最新刊は『エージェント 巡査長 真行寺弘道』。